20190926 秋の空気は感傷を誘う

朝から胸いっぱいの秋の空気を吸い込む。そうしてなぜか、大学生だったときの、家から大学までの道の映像が頭に浮かぶ。綺麗な大学の建物と、たくさんの団地と、高架の電車と、いくつかのごちゃごちゃした飲食店と、松の並木に見守られた川と、それに混ざって私の住むアパートがあった。大好きで憧れている人と、偶然スーパーで会えることばかりを期待しながら、ドイツ語とか卒論のこととかを考えながら、持ち手が薄汚れたトートバッグに図書館で借りたたくさんの文献を目いっぱい詰め込んで、今日のようなからりとした日に、秋の夕暮れの空気を吸い込みながら歩いた。

授業が終わって買い物をしながら、帳の降りているなかを帰宅するとき、学生生活はずっとは続かないこと、憧れの人みたいになりたいけれど、それはどうやら難しそうなことなどを頭の片隅でうっすらと思いながら、それらをまとめて寂しいという感情として処理しようとしていた。実際に私は寂しかったのかもしれない。

秋になると松任谷由実の「りんごのにおいと風の国」を必ず聴きたくなる。とても淋しい曲だけれど、オリーブ少女になりたかったみたいな自分のおセンチな気持ちを加速させてくれるから、好きだ。

楽しかったけれど寂しかった記憶はいくつかあり、けれどそれは居心地が悪いものでもない。

ユーミンのライブに行くために、たまたま手に入ったチケットをリュックに入れ、東京駅から1人で新幹線に乗り、冬のスキー場に1人で行ったことをお風呂で思い出す。

東京駅の新幹線乗り場には、平日のせいか、珍しくほとんど誰もいなかった。とても静かで、新幹線のブレーキと発車のときの乗り物の音がそこには響いた。

会社にいるとずっと人といるから、自分のおセンチさを忘れることができる、或いは、そのような気持ちはやがて薄れて行くのかな、とか考えてる時点で薄れてはいない気がする。