塩原温泉郷の旅館のことと、go to キャンペーンのこと:日記

コロナ禍で不安な日々が続くが、私はどうやら腱鞘炎になってしまったようだ。
左手首がじんじんと痛む。それはもうハンパない痛みだ。痛みのことしか考えられず、キレ散らかしそうになった。もしかしてスーパーとかで店員や客に理由もなく怒っている人というのは、体のどこかがひどく傷んだり、老いてゆく身体に耐えられないとかなのかもしれない。

などと考えながら風呂に入って痛みをとろうとしているとき、私はふと那須塩原の小さい旅館の事を思い出した。

その旅館は栃木県の塩原温泉郷にあり、温泉街の中にひっそりと佇んでいる。旅館の名は橋本屋と言う。

 

○川沿いの小さな旅館

私の祖父は私が3歳の頃に亡くなったが、祖父が生前の頃から、夏や冬の行楽シーズンにはよくその旅館を御用達で利用していた。

とても小さい旅館で、来る客も顔なじみばかりだったので、私たちが宿泊するその日にはあたしたちの苗字が書初めのように、筆で、入り口にデカデカと書かれていた。
その旅館は、大きなホテルグループとかではなく、個人経営のひっそりとしたものだった。
いつも奥さんと旦那さんが出迎えてくれた。

旅館に着くと、チェックインをして、あのお決まりの、白い立体の長方形が着いた鍵を渡され、部屋に向かった。

部屋はもちろん畳敷きで、 茶色い長テーブルの上にはお茶とお菓子が置いてある。お菓子は、塩原で有名な、絹の清流という、薄くてしっとりとした皮にあんこが挟まっているお菓子だ。私はこれが大好きだ。今も好きである。おすすめする。

昔ながらのゲームコーナーには、わにわにパニックとか卓球台とかがあった。

温泉はと言うととてもこじんまりとしていて、露天風呂があった。旅館そのものが、大きな川に面していて、滞在中はずっと、ゴーゴーと川の流れの音が私たちを圧倒してきた。

 


〇露天風呂とたぬき

露天風呂のお湯が出てくるところは、たぬきの装飾が施してあって、お腹が丸々と太ったタヌキの急所から湯が出てきている。子供ながらに私はそれが愉快で、滞在するたびにいつも祖母にその話をした。タヌキはまるで、ひょっとこのような顔をして、いつもそこに佇んでいた。

食事は一体どこで食べたのか、部屋なのか食堂なのか、今ではもう覚えていない。が、手作りの和食だった。

朝ごはんには、そう、白いご飯、味噌汁、海苔、厚焼き卵、納豆、野菜の和え物、そういうものが小さい器にこじんまりと行儀よく並んでいるような。
そしてそれらはどこかの業者に頼んだのではなく、おそらく旅館の人達が作ったのだろうと思われるような、そういうものだった。

 


〇旅館の今
私たちがよく滞在していた頃から随分と時間が経った。何年か前に私は思い立って Google でその宿を検索してみた。その宿はもう「営業停止」という文字が書いてあった気がするが、それ以上はなんだか怖くて検索することができなかった。

このコロナ禍で、そういう小さくて寂れたけれども、家族で細々と経営してきた宿が、いったいどれだけ店を畳んだことだろう。そういうことに思いを馳せると、とてつもなく寂しい気持ちになる。寂しい気持ちになるだけで私はどうすることもできないのだが。

 


〇go toなんとかのこと

 

そして go to トラベルキャンペーンとか、よくわからない、ただそこに関わった大きい会社が私たちの税金をぶんどって、中抜きされて、そして終わるのであろう、みたいなことしかよくわからない、そういうものに悲しくも憤慨することしかできないのだが。


そういうキャンペーンが、上記のような宿や小さな店たちを救いうるのかと言われれば、そこには甚だ大きな疑問がつきまとうだけだ。

もうあの宿に家族で行くことはできないかもしれない。それだけがただ悲しい。

宿泊している時、夜寝ている時でさえも、川の濁流の音が轟き渡っていた。きっと今も、あの旅館がどうなったのかわからなくても、あの音だけは響き渡っているだろう。

うるさくて眠れないくらいだったけど、あの川が穏やかに、今の塩原温泉郷に流れていることを私は祈っている。

 

もしも誰か塩原温泉郷の橋本屋という旅館のことについて詳しく知っている人がいたら、是非教えていただきたいと思います。

そして、腱鞘炎は辛いので皆さん気をつけて下さい。

 

 

※この記事は同内容をnoteにも掲載しています。

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アカウント名:北山カオリ