竹内まりやの映画を見てブログ開設を決めた

初エントリ。はじめまして。koarakkoといいます。学生です。このたびはてなブログを始めました。

自己紹介したいところだが、さっそく本題に入りたい。竹内まりやの映画『souvenir the movie~MARIYA TAKEUCHI Theater Live~』を見た。

そして私はブログ開設を決めたのであった。本当に良くて良くて。何から書けばいいのか。どうせ駄文しか書けないけどそれでもいいや。ブログだし。学校の先輩方と見に行ったのだが、見たあとに感想を話し合い、カラオケに行き、帰宅後友人にもラインをし、竹内まりやをリアタイで聞いていた親にも翌日連絡し、他のSNSでもつぶやいたりしたが、それでも飽き足らず、こうしてブログを始めてしまった。まりや、あなたはすごい。そして達郎、なんなんだ。

 

(以下ネタバレも含まれます)映画を見るために現在やっている作業を徹夜で行い、11月のお金をとっておき(2800円は学生には少しいたかった)、少しドキドキしながら映画を見た。まりやのコンサート映像を見るのはおそらくほぼ初めてだったと思う。NHKのSONGSとかの音楽番組ではまりやのことは見ていたけど、それも中学生の時とかだったし、当時はそんなにいろんなことを知らずにぼーっと見ていた。

2000年以降まりやのコンサートは3回しか行われておらず、その貴重な映像+α(インタビュー映像とか達郎の原稿読み上げみたいな語りとか)が見られるダイジェストの映像集。

『カモフラージュ』『September』『Plastic Love』『J-BOY』など、有名ヒットナンバーがおそらく実際のライブに沿った順で流れる。全部最高だったが、特によかったのは、『Plastic Love』である。最後に達郎が派手なソロコーラスを披露してすべてをもっていっていたけど、それも含めてライブバージョンのこの曲は最高に最高だった。

あげみざわだったしやばいほどエモかった。ユーミンの苗場でBlIZZARDを聞くたびに「これを聞くためにここに来たんだ」とエモくなるのだが、そのときと同じように、この演奏を見られただけでも、2800円分の価値があるなと思ってしまった。

最後の新曲プロモは本当にダサかったんだけど(あのプロモ作品は誰の編集でできたんだ?ドローン撮影と演歌歌手のプロモが絶妙にダサさを作り出していた。)、(それまでのライブ映像の良さを打ち消しそうなダサさがあって内心困ったなと思っていた)、でも、エンドロール見ていたらやっぱりすごく良くて、まりやは改めてすごいなと思った。というか達郎がすごいのか。

 

映画の中のインタビュー内でも言われていたけど、彼の職人並みの編集技術とアレンジがまりやの良さを引き出しつつ達郎さもブレンドされてヒット曲になる。でも『家に帰ろう』とかまあその他多くの曲はまりやが作詞作曲していて、それにも改めて驚かされた。

「冷蔵庫の中で 凍りかけた愛を 温めなおしたいのに」いつ思いつくんだろうか。冷蔵庫を開けてみても何も思いつかないし、そんな電子レンジで何かをあたためるかのように冷蔵庫と愛を並列させるなんて、私からしてみたら信じられない歌詞である。

「幻だけの恋ならば100回でもできる」これもすごい。染みる。幻の恋であっても100回もできるものなのか?ここの歌詞は、「幻だけじゃなくてここには愛があるから、だから幻は追わずにあなたと『ここで暮らそう』」ということなのか?人生経験が薄すぎてわからない。でも染みる。

 

とにかく、私は映画を見てから帰宅中も、見終わった後数日間も、ずっとまりやを聞き続けている。

のびやかな高音と、達郎をはじめとした安定のコーラス、バックボーカル。

そして恋愛の曲はもちろん、誰かと暮らすとか家族を作るといった人生の選択をしてきた人たちの背中を押し、そのそれぞれの選択と日常を優しく強く肯定するような歌詞、根強いファンがたくさんいると思う。

 

そもそもまりやを好きになった、というか、好きだとか認識することも特になく聞き続けているのは、まぎれもなく両親の影響が大きい。

80年代に20代を過ごした彼らにとって、まりやを聞くのは私がアリアナグランデやテイラースウィフトを聞くようなものだっただろう。

別にまりやの曲を聞く趣味が合ったとかそういうわけではまったくなかっただろうが、母親の車に乗っても父親の車に乗っても、まりやがかかっていることは多かった。

 

『今夜はHearty Party』がかかると「これはね、キムタクがコーラスに入ってるのよ、よくきいてごらん」『毎日がスペシャル』がかかると、「この曲は落ち込んだときに元気になれるよ、明日も楽しみになれる歌だよ」と書道教室の帰りに私を迎えにきたとき、母親は解説した。

 

『駅』がかかると、「この曲は中森明菜が歌ったんだけどどうにもあれは自分は好きになれない。あまりにも悲しくて弱弱しい。マッチのこととかいろいろあったしねえ。自分は竹内まりやのセルフカバーのほうが好きだ」と父親もまた持論を小学生か中学生の私に唱えた。

 

ふたりともおそらくお互いにまりやをかけていることは知らない。2人はさほど趣味が合うとかでもないしそこまで「いい夫婦」とかでもない、しかしそれでも繰り返しまりやをかけていたのは、やっぱり聞いていて幸せな気持ちになれるからかもしれない、と、この3日間まりやをヘビロテしながら感傷気味に思った。

 

とりあえずまりやは本当にかわいい。2000年当時でも45歳だなんて思えない。アメリカで、ヤシの木のうしろから頭だけをひょこっと傾け笑うまりやのかわいさを目にすると、63歳などという年齢はただの数字でしかないことがわかる。

大変に無謀な願望だが、まりやみたいになりたいなあ~~~~などという気持ちが頭をかすめてしまう。

 

「souvenir the movie 〜MARIYA TAKEUCHI Theater Live〜 」特報映像 - YouTube

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